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久しぶりにパソコンに向かっている私です。ほんと、約一年ぶりですね。ま、色々ありまして。
去年、10月に入院中の父の病状が悪化しまして、毎日、家族で交代に見舞いに行き、身の周りの世話をして、という毎日の繰り返しでした。そうこうしている間に母が入院する事になり、私は必死でした。朝は母の所へ、昼は父の所へ・・・。母の病気は腸閉塞なので、しばらく入院していれば治るのですが、父の病気はどうにもなりません。いつ退院出来るのかの目処もたたないまま、過ごしていました。そして、いつか元気に退院してくるはず、と、信じている母は、父が退院できない事を病院側のせいだと思い込み、自分が入院している病院に移して欲しいと母は自分の主治医に頼み込み、父の入院している病院から紹介状をもらってきて欲しいという。
この事で気を悪くした父の病院側、看護婦さんも婦長さんも、私を無視したりする始末。ま、父の入院している病院は、突発的な病状の方が少なく、慢性的な病状で完治する可能性が無く、死を待つだけ、という患者さんが殆どなのです。なので、医者も、時々しか診に来ない。医者がやるべき事も、殆どを看護婦さんが行っているという、看護婦さんにとっては、とってもハードな病院なのです。それを、病院を変えたいという私の言葉は、看護婦さんに対する最悪の裏切り行為だったのでしょう。
母の入院先へ、その紹介状を持って行きました。これで、少しは母も安心するかと思いきや、その紹介状を母の主治医に見せたところ、この病院では慢性の患者を受け入れる事はできない、という結果でした。ようは、治る可能性の無い患者を受け入れられないということ。結局、今まで通り、今の病院でお世話になることになったのですが、その事を父の病院側へ伝えなければなりません。激怒していた看護婦さん達に謝りを入れて、今まで通り、よろしくお願いします・・・と。
とにかく、ひどくつらい日々でした。この事件があって初めて知ったのですが、結局、父は今より良い状態になる事は決してないという事でした。
お正月に、父の外出の依頼をし、三が日は自宅に戻り、みんなで楽しく過ごし、また入院の日々。そして、今年三月末、病室のベッドの横で付き添っていた私の方を見て、一筋の涙をこぼし、無言のまま、父は息を引き取りました。
父は、昭和60年に脳梗塞で倒れ、左半身不随のまま、特に大きく悪化する事もなく過ごし、一昨年、胃の調子が悪くなり入院しました。ま、負った病気にしては長生きしたな。と、思うところです。周囲の人達が、「あなたたちは、出来るだけの事をやったから後悔はないでしょ。」と言っても、まだ何か出来たかもしれない、と後悔しています。きっと、どんなに頑張っても、後悔はするのもなのだと感じます。
父の最期の涙が忘れられません。それが最期の涙になる事とも知らずに父を見つめていた私、今の私に突き刺さります。
その後、ようやく一般人のように外で働けるようになった私は、がむしゃらに働いています。老後の金を貯めなくちゃね!
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